1583年、蒲生氏郷の嫡男として生まれる。1595年、父・氏郷が急死したために家督を継ぐ。
その後、秀吉の命で徳川家康の娘・振姫を正室に迎えることを条件に跡目相続が許されたが、
父の様な器量が無かったために家中を統制できず、御家騒動が起こり、1598年に
会津92万石から宇都宮12万石へと減移封される。
関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍に与し、宇都宮で上杉景勝の牽制を務めた。
戦後、その軍功によって会津へ帰還して60万石を与えられる。家康の娘・振姫と結婚したため、
徳川の一門衆として重用された。しかし、心労などのため、1612年5月14日に死去。