磐梯町、猪苗代町
訪問回数:1回(2001年8月14日)

伊達政宗は、芦名氏の対決姿勢を強めながら、現在の福島県へ勢力を拡大しつつあった。
政宗は芦名氏の本拠会津を奪うべく行動を開始する。猪苗代盛国の内通で会津への道を確保すると
猪苗代城を拠点にした。一方の蘆名義広は須賀川城から猪苗代湖南岸を進み軍を黒川城へ集結させる。
高森山に布陣した蘆名勢は民家に火を放ち伊達勢を挑発する。伊達軍は21,000人、
蘆名軍は18,000人とほぼ互角であった。
合戦は猪苗代湖の北岸、磐梯山の裾野である
摺上原で行われた。開戦当初は西からの烈風が追い風となり、蘆名軍が伊達軍に対して有利に戦っていた。
暫くして風向きが東風となると伊達軍が圧倒し始め、蘆名軍は総崩れとなった。敗走する蘆名軍は
日橋川によって敗走を妨げられ、被害が拡大した。蘆名義広は実家である佐竹氏を頼って
常陸へ敗走した。

★所感
 野戦のあった史跡地は、あまり当時を偲ぶものが少ない。
 ここでも当時を想像し、感慨に浸るのみである。
福島県へ戻る
【摺上原古戦場】  
評価
古戦場
古戦場遠景
案内板