1190〜99年頃、源頼朝の両親追善のために建立されたが、1532〜55年頃の 丸子城の戦火で焼失した。しかし、駿府へ進出した武田信玄が1568年に再建した。 この寺は、大坂冬の陣のきっかけとなった方広寺の大仏鐘銘事件で、 駿府の徳川家康へ申し開きのため、片桐且元が滞在した。 境内には、子孫の片桐石見守貞昌によって、片桐且元夫妻の墓が建てられている。