1265年、関実忠が築城。1573年に関盛信が織田信長に追放されるまで、
関氏16代の居城だった。1636年、本多俊次が城主の時に大改修を行い、
本丸には将軍家の旅館として整備された本丸御殿、二の丸には城主居館と
藩庁を兼ねた二の丸御殿が設けられた。明治6年の廃城令によりほとんどの
建物が壊されたが、多聞櫓は現存する城郭建築として保存されている。

城碑
多聞櫓
案内板
【65.伊勢亀山城】 
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訪城回数:1回(2006年10月16日)
亀山市
評価
★所感
 ここの見所は、やはり多聞櫓。色々アングルを変えて収めようとしたが、
 中々いいものが撮れなかった。下のグランドが使われており、
 グランドから撮れなかったのが、痛手だ。