【九鬼嘉隆墓所】 
洞泉庵此
胴塚
血洗い池
九鬼嘉隆は、織田信長、豊臣秀吉の下、水軍の将として活躍。
鳥羽3万5千石の城主となった。関ヶ原合戦では西軍についたが、
敗れ、答志島の洞泉庵で自刃した。子の守隆が胴塚を建てたものを
1669年に孫の隆季が再建した。近くには自刃の際の刀を洗った
血洗い池、築上山頂には首塚も建てられている。
★所感
 鳥羽へ旅行した際に、嫁、子供を無理に引き連れて、船で島へ渡ったが、
 長時間持つ訳がなく、首塚を見れずに退却。
 その後、リベンジで首塚だけを見るために島へ渡った。胸に引っ掛っていた物が
 取れた気がした。
訪城回数:2回(2004年4月29日、2009年1月29日)
鳥羽市答志町
評価
首塚
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