★所感
 真田昌幸が築いた事もあり、期待に胸を膨らませて行ったが、
 なれない攻城のため、子供が疲れてしまい、三の丸、大手、三ヶ月堀を
 見れずに退却。次回は是非見たいものだ。

新府城は、武田勝頼が織田信長の甲斐侵攻に備え、1581年に真田昌幸に
命じて築かせたが、信長の侵攻により火を放って放棄した。
その後、北条、徳川の争いの時に、徳川家康が修築し、本陣を置いた。
現在遺構としては、本丸、二の丸、三の丸、大手、三ヶ月堀、馬出し、出溝え、
搦手口、稲荷曲輪、帯曲輪が残る。
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201.新府城
訪門回数:1回(2007年10月10日)
韮崎市
本丸
二の丸
本丸_土塁
案内板
東出構え
評価