評価
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可児才蔵は可児吉長が本名で、才蔵の通り名で知られている。
才蔵は笹の指物を背負って戦い、敵の首を多く取るため、腰に下げる事が
出来ず、笹の葉を取って口にくわえさせた事から笹の才蔵と呼ばれた。
槍は宝蔵院胤栄に学んだと言われ、槍の才蔵とも呼ばれる。
仕える君主を変えてきたが、関が原の合戦で福島正則の元で活躍し、
一緒に広島に移った。1613年に没し、遺言によりこの地に葬られる。
広島市東区東山町
訪門回数:1回(2012年12月6日)
【才蔵寺_可児才蔵墓所】 
本堂
可児才蔵_銅像
★所感
 楽しみにしていた事の一つで、大変感慨深く訪問しました。
 ここは味噌地蔵として有名で、たくさんの味噌のお供えがありました。
可児才蔵_御墓