立花ァ千代は、立花道雪の一人娘として生まれた。1581年道雪はァ千代の婿として 高橋紹雲の長男を婿養子に迎えた。この婿養子が立花宗茂である。 宗茂は関ヶ原の戦いで西軍に属し、領地を没収され、一時高瀬(現在の玉名市)に 滞在した。この際、ァ千代が腹赤の地に来て亡くなったかは不明である。 1620年宗茂が旧領を回復し、1634年にァ千代の墓を作らせている。 墓の頭部がぼた餅の形をしている事から、地元の人達は愛称を込めて ぼたもちさんと呼ばれている。