甲斐宗運は、1541年阿蘇家に反乱した御船城主・御船行房を討ち取り、その戦功により 御船城主となった。隈庄の戦い、響ヶ原の戦い等で活躍し、阿蘇家に忠誠を尽くした。 その忠節ぶりは苛烈を極め、日向の伊東への接近を図った次男、三男を誅殺、四男を追放した。 暗殺を試みた長男は嫡男のため、赦免されたが、恐れた長男の妻が娘に命じて、 宗運を毒殺したとも言われている。