三日月堀
案内板
本丸
【314.大島城】
★所感
 以前からの念願の大島城にたどり着いた。ここまでの道が狭く、不安になる。
 以前は少し迷ってしまい、時間切れで帰った事もあり、想いが大きかった。
 特に期待の三日月堀は大変素晴しく、かなりの時間、見とれてしまった。
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訪城回数:1回(2008年4月28日)
松川町
平安時代、南信濃源氏・片桐氏の分流として、八郎宗綱が
大島郷を治めたのを機に、大島氏を名乗ったのが始まりとされる。
1545年には武田晴信が伊那に侵攻し、秋山信友が伊那郡代として
伊那地方と統治。1571年、東海地方への拠点として大島城を修築したのが
現在の遺構となっている。武田流の特徴である馬出し、三日月堀がよく
残っており、特筆物。
評価