天文年間(1532〜54年)頃に、小池刑部家継が築いたとされる。 小池氏は後に金山城主の森長可の命により城を退去した。 城跡は愛宕山と呼ばれる比高20mの丘陵先端部に築かれている。 規模は小さいながらも横堀を巡らし、曲輪間を土塁、堀切で区画する等、 戦国末期の技巧が認められる。