訪城回数:1回(1999年9月)
【22.亀山城】  
新城市作手清岳字城山
本丸、城碑
二ノ丸
土橋
案内板
評価
1424年、奥平貞俊が築城して、川尻城から移った。1573年、貞能、貞昌父子は、
古宮城に拠る武田軍と石堂ヶ根、田原坂等に転戦し、これを破った。
この戦功により1575年、長篠城主となり、同年5月長篠の戦いで武田軍1万5千の
大軍に籠城し、耐え、勝利に貢献した。貞昌は信長の一字を賜り、信昌と改名した。
1602年、信昌の第4子・松平忠明が父祖の地である作手藩1万7千石の藩主として
亀山城に入城し、8年間在城した。その後、伊勢亀山へ転封し、1619年頃の数年間、
三河初代代官として小川又左衛門氏綱が在城したが、その後は廃城となった。

★所感
  この頃は写真の撮り方も今一で、今から見てみるとほとんどが使い物にならない
  状況だった。また再訪の言い訳になってしまう・・・。ここは近辺の古宮城と並び、
  良好な遺構が残存しているので、訪城の価値あり。
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