【52.萩城】  
豊川市萩町下の坪
訪城回数:1回(2001年9月29日)
作手郷に移った奥平貞俊は二代・貞久に家督を譲り、貞久の四男・主馬允が萩へ進出した。
主馬允が萩を領有したのは、1457〜66年頃と言われ、萩城3代・周防守勝次は長篠の戦いで
戦功を立てた。萩奥平氏は7代で断絶した。主郭は、東西50m、南北20mで、大手口に向かって
数段の腰曲輪があり、西北の尾根筋に堀切と土塁がある。
主郭
城碑
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★所感
  遺構がしっかり残っているという事になっているが、今一不明瞭。

評価