【54.岡崎城】  
岡崎市康生町
訪城回数:4回(1回目:'02年1月1日、2回目:'07年11月15日、
          3回目:'08年7月19日、4回目:'10年9月17日)
東隅櫓
菅生曲輪
産湯の井戸
えな塚
大林寺曲輪
大林寺曲輪堀
大手門
天守閣
1455年、三河守護・仁木氏の守護代・西郷弾正左衛門稠頼が築城した。
松平郷から進出してきた松平氏が勢力を拡大し、稠頼の子・頼嗣は松平光重を養子として
岡崎城を譲った。1524年には安城松平家の清康の軍門に降り、清康が安城から移ってきた。
松平氏は今川、織田に挟まれて苦難の時代を過ごした。そんな1542年、松平広忠の子として
竹千代、後の徳川家康が生まれた。その後は、城主が入れ替わっていったが、
家康の関東移封により、田中吉政が入り、総曲輪の町を造り上げた。江戸時代に入り、
本多康重が入封し、4代に渡って近代城郭として整備した。1769年からは本多忠勝の
子孫・忠粛が入封し、本多家で明治を迎えた。
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★所感
  近年は発掘調査が進んでおり、当時の遺構が明らかになっている。
  地元だけに出来るだけ発掘調査は見て行きたい。
評価