【55.武節城】  
豊田市武節町城山
訪城回数:1回(2002年11月21日)
空堀
遠景
二の丸
1504〜21年頃、田峯の菅沼定信の支城として築かれ、菅沼十郎などの城代が置かれた。
1556年、下条信氏の攻撃を受けた。1571年には武田軍の三河侵攻を受け、田峯と共に
戦わずして軍門に下った。1575年の長篠の戦いで敗れた武田勝頼は、この城で梅酢湯を
飲んで甲州へ帰還したと伝わる。その年の7月には酒井忠次が攻略し、奥平信昌の領地と
なった。1590年、徳川家康の関東移封により、廃城となった。
★所感
  本丸に立ち、武田勝頼の心境に浸ってしまった。近くにはどんぐりの湯があり、
  ここにも城の案内板がある。
愛知県へ戻る
本丸
評価